前回は、学校の椅子を取り上げながら、私たちが「座り方」を教わらずに育ってきたこと、そして、自分の身体を支える能力である「座力」についてお話ししました。
今回は、さらに根本的な問題について考えてみたいと思います。
それは、私が長年疑問に感じ続けてきたことです。
なぜ、世界中の多くの椅子は、座面が平らなのでしょうか。
オフィスチェアも、ダイニングチェアも、学校の椅子も。
材質やクッション性、背もたれの形状には大きな違いがあります。
しかし、その土台となる座面は、基本的に平らなものが主流です。
私たちは、そのことに何の疑問も抱かずに座っています。
しかし、人間の身体の構造を考えると、私はどうしても、この当たり前を疑わずにはいられないのです。
丸いお尻の中には、立体的な骨盤がある

人間のお尻は、平らではありません。
丸みを帯びたお尻の内側には、複雑な立体構造を持つ骨盤があります。
骨盤の下部には、左右の坐骨結節から前方へ続く坐骨枝があり、その内側には骨盤の出口にあたる開口部が存在します。
骨盤を下から眺めると、左右の骨がつくる角度や、中央に広がる空間など、平面とはまったく異なる形状をしていることが分かります。
私たちが座るとき、体重は主に坐骨結節や、その周囲の軟部組織を介して座面へ伝わります。
つまり、身体と座面との接点には、もともと立体的な骨格が存在しているのです。
それなのに、なぜ平らな座面が当たり前なのでしょうか。
もちろん、平らな座面でも身体を支えることはできます。
しかし、身体を支えられることと、骨盤が自然に安定しやすいことは、必ずしも同じではありません。
私は、ここに椅子づくりの大きな盲点があると考えています。
角張ったマウスピースでは、歯列にフィットしない

少し極端な例かもしれませんが、想像してみてください。
丸みを帯びた歯列に、角張ったマウスピースを無理にはめ込もうとする。
いくら素材を柔らかくしても、いくら厚みを増しても、歯列の形に合っていなければ、適切にフィットさせることは難しいでしょう。
私は、椅子の座面についても、似たような疑問を感じています。
平らな座面の上に、立体的な骨盤を置く。
そして、座り心地が悪ければクッションを厚くする。
腰がつらければランバーサポートをつける。
背中が疲れれば背もたれを大きくする。
頭が重ければヘッドレストをつける。
もちろん、それぞれの機能には役割があります。
しかし、その前に考えるべきことがあるのではないでしょうか。
そもそも、骨盤を受け止める座面の形状は、これでいいのか。
私は、椅子づくりの出発点は、そこにあるべきだと考えています。
骨盤を座面に合わせるのではない。座面を骨盤に合わせる。
これほど単純な発想が、なぜ椅子づくりの中心になってこなかったのでしょうか。
自転車やバイクに跨ると、身体は自然にバランスを探す

ここで、自転車やバイクに乗るときのことを思い出してください。
私たちは、サドルに跨ると、無意識のうちに身体のバランスを取ろうとします。
左右どちらかに大きく偏ったままでは、安定して乗り続けることが難しいからです。
誰かに「身体の中心を探してください」と指示されなくても、身体は自然と安定する位置を探します。
もちろん、自転車やバイクは走行中に重心を移動させる必要がありますし、サドルに跨れば必ず理想的な姿勢になるわけでもありません。
それでも、私が注目しているのは、人間が自ら身体のバランスを感じ取り、調整しようとする仕組みです。
これは、前回お話しした「座力」にも通じています。
姿勢が崩れたら、それに気づく。
そして、自分で修正する。
背もたれや肘掛けに身体を預けるのではなく、自分の骨格を使って安定する位置を探す。
私は、跨いで座るという動作に、こうした能力を引き出すヒントがあると考えています。
なぜ、鞍やサドルは平らではないのか?

考えてみれば、人類は平らな椅子だけに座ってきたわけではありません。
馬に乗るための鞍。
自転車のサドル。
バイクのシート。
これらはいずれも、跨いで座ることを前提につくられています。
そして、その形状は、一般的な椅子のような平面ではありません。
もちろん、鞍やサドルは、乗り物を操作するための道具です。通常の椅子とは用途も、身体への荷重のかかり方も異なります。
しかし私は、そこにこそ注目すべきヒントがあると思っています。
なぜ、跨いで座るための道具は、身体の位置や動きを考慮した立体的な形状をしているのでしょうか。
そして、なぜ日常生活で長時間使う椅子については、平らな座面が標準になっているのでしょうか。
私には、この違いが以前から不思議でなりませんでした。
人間の骨盤は、椅子に座るときだけ別の形になるわけではありません。
それならば、鞍やサドルの設計思想を、現代の椅子に応用することはできないのでしょうか。
椅子の進化は、座面から始まるべきではないか
現代の高機能チェアには、さまざまな調整機能があります。
背もたれの角度。
肘掛けの高さ。
座面の前後位置。
ランバーサポート。
リクライニング機構。
こうした技術の進歩を否定するつもりはありません。
背もたれや肘掛けに寄りかかることで、身体への負担を軽減できるのであれば、私も何の異論もありません。
しかし、問題はそこまで単純ではありません。
背もたれに身体を預け、骨盤が後ろに倒れたまま、首を前に突き出して座り続ける。
そのような姿勢では、筋肉を積極的に使っていないため、一見すると楽に感じられるかもしれません。
しかし、筋肉が楽をしていることと、椎間板や靱帯、筋膜に負担がかかっていないことは、まったく別の話です。
姿勢や背もたれの使い方によっては、頚部や腰部の椎間板、靱帯、筋膜などに持続的なストレスが生じます。
つまり、「楽に感じる姿勢」が、必ずしも「身体に優しい姿勢」とは限らないのです。
私は、ここに現代の椅子が抱える大きな矛盾があると考えています。
背もたれに身体を預けている間は、自分で姿勢を調整する必要性を感じにくくなることがあります。
いわば、姿勢を自ら制御しようとする意識が「オフ」になっているような状態です。
もちろん、脳や神経系が実際に活動を停止しているわけではありません。姿勢を維持するための神経系は常に働いています。
問題は、本人が楽だと感じている間にも、身体の組織には負担が蓄積している可能性があるということです。
身体が発している小さな警告を、私たちは見過ごしていないでしょうか。
仕事も勉強も、座って行う時間が長い現代社会。
だからこそ、背もたれや肘掛けの機能を増やすことよりも先に、考えるべきことがあります。
骨盤が自然に起き上がり、背骨本来のS字カーブを保ちやすい座面をつくること。
私は、それこそが椅子づくりにおいて、何よりも優先されるべき課題だと考えています。
背中をどう支えるかよりも先に、骨盤をどう受け止めるか。
腰をどう支えるかよりも先に、骨盤が自然に安定する座面を考える。
骨盤は、背骨を下から支える土台です。
その位置や傾斜角が変われば、腰椎や胸椎、そして頭部の位置にも影響します。
だからこそ、身体の上部を支える機能を増やす前に、まず骨盤と座面との接点を見直すべきではないでしょうか。
私は、長年にわたって身体と向き合う中で、そう考えるようになりました。
身体を支える椅子から、身体が自ら座るためのシートへ
私が目指しているのは、単に柔らかくて座り心地の良い椅子ではありません。
身体を支える機能を、際限なく増やしていくことでもありません。
骨盤が自然に安定する位置を探しやすく、自分の骨格を使って座れること。
そのためには、座面の形状そのものを変える必要があるのではないか。
この疑問を、私は長い間持ち続けてきました。
そして、その考えを形にするために、あるメーカーと約1年半をかけて、一つのシートを共同開発しました。
その名は、
Pelvista Seat(ペルヴィスタシート)。
興味深いことに、共同開発したのは椅子メーカーではありません。
靴づくりを通して、足と身体の接点を考えてきたメーカーです。
なぜ、椅子メーカーではなく、靴メーカーだったのか。
そして、なぜ平らな座面ではなく、跨いで座る形状を選んだのか。
その理由については、これから詳しくお話ししていきます。
ただ、一つだけ先にお伝えしたいことがあります。
椅子の進化を、背もたれや肘掛けの進化だけで考える時代は、そろそろ終わりにしてもいいのではないでしょうか。
私は、そう考えています。
次回【座力の教科書 第9話】
ランバーサポートは、本当に腰を支えているのか?
腰椎の生理的な前弯は、腰を後ろから押せば作れるものではありません。
その土台にある骨盤の位置と傾斜角が重要です。
次回は、現代の高機能チェアを象徴する「ランバーサポート」を取り上げ、腰を支えるという発想そのものを考え直します。
